445、黙浴の話
With family,society and world
「黙浴」多分、造語だと思うが、スポーツジム浴槽の壁に張り紙がしてあった。張り紙の意図は、
すぐに理解できた。浴槽内での会話の禁止を求めるポスターだ。多分、浴槽内で会話をしている人を見て、
誰かがジムのスタッフにクレームを言ったのだと思っている。いろいろな方が、ジムに来られている。
今まで過ごしてきた環境によって、物事の捉え方が異なってくる。浴槽内では、ある程度の距離を保ち、
小声で話す程度だ。感染には、繫がらないと思うが、人によっては、気になってしようがないのだろう。
社会的に孤立している人に多いような気がする。
モクヨクと言えば、こちらの「沐浴」がメジャーの使い方だ。赤ちゃんを入浴させることを「沐浴」
と称する。思い出すのは、長男の時だ。室内にベビーバスを置き、40度くらいの湯を張り、ガーゼで
身体を洗った。湯温計で、絶えず湯の温度を調節していた。「黙浴」のおかげで、47年前の楽しい
思いでが蘇ってきた。子供も二人目以降、「沐浴」も、ベビーバスから家の湯ぶねになった。
子育てに関して、いろいろな記憶が蘇ってきた。長男と長女の時代には、「布おむつ」の時代で、
現在のような「紙おむつ」は無かった。40年前の1982年頃から、急速に普及しだした。便利な物が
開発された。赤ちゃんだけでなく、今は、老人も、お世話になっている。
今日、昼すぎ品川中央公園で蠟梅を撮り、アルバムにアップした。
(Need is the mother of invention)