314、熊本出身の正代関が大関になりました。
With family,society and world
昨夜、中秋の名月を鑑賞した。見頃は、ニュース等で、夜9時ごろ、南東にと報道されていた。
夕方、6時20分頃、月は、東の地平線上に出ていた。ちょっと赤みがあり、ちょっと大きめの
月であった。夜9時、再度、月を見た。南東に、ハッキリした黄色で、引き締まった小さな月を見た。
僕の好みだが、夕方6時20分頃の月の方が、しっくりするような感じになる。
来年は、心境の変化により、好みが変わっている可能性もある。僕には、その時々のブームがある。
正代関が、優勝し大関に昇進した。ようやくたどり着いた感じがする。祖母の名前が、正代正代さんと
書かれていた。(しょうだい まさよ)と読むらしい。どのような経緯で、苗字と名前が、合体したのか
興味をそそるが、今日は、これまでにして、先に進む。正代関の出身地は、熊本県とのこと。
熊本出身力士の優勝は、初めてらしい。歴史に残る1ページになるだろう。
熊本と聞いて連想するのが、民謡「五木の子守歌」・わらべ歌「あんたがたどこさ」のフレーズで、
あり口ずさむことになる。あと、何か知らないが、平家の落人の里(五箇所)を思い出すが、
行ったことはない。僕の頭の中では、(民謡・わらべ歌)と落人の里が、リンクされている。(間違い)
関東 栃木県の湯西川温泉も、平家の落人の里として有名だ。ここは、知人と訪れたことがある。
最寄り駅から、かなり遠くにあり、山奥にある里という感じだ。雪の降る季節であり、かなり積雪が、
あったことを思い出した。ここなら、源氏の追っても、見つけることが出来ず諦めると思った。
宿泊した日は、大雪で、予約していた若いコンパニオンが、町から移動できないとのこと。急遽、
地元の女性が、ピンチヒッターとして、参上した。多分、昼間、農作業をしていた女性と推察した。
指と爪の間に、泥が付いていた。それでも、楽しいひと時を過ごした。チャージは、安くならなかった。
肥後熊本と言えば、肥後熊本初代藩主 加藤 清正もいる。東京にも縁があり、池上本門寺の96段の
階段は、清正公からの寄進と言われている。品川区にある戸越公園も、肥後国藩主 細川家の下屋敷の
庭園を利用して作られた。
(I have a delusion that I want to live in a house with a garden as big as Togoshi Park.)
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