1138、旬のない人生もいいものだ
Justice does not always prevail.
今年のお盆は、雨模様の日が多かった。自分の記憶の中では、お盆らしさを感じない日々となった。
千葉県では、大雨の為、10人の犠牲者がでた。車に閉じ込められて亡くなった方もいるという。
何処で何が起こるか分からない。「備えあれば患いなし」とよく言われるが、どうしようもないこと
もある。運命と諦めるしかない。
今回のような災害にニュースを聞くと、余生について、考える事になる。
有名人の方で、同年輩の方の訃報が伝わると、どうしても夫婦の会話が始まる。
亡くなられた方の年齢が86歳の場合、奥さんは、「あと8年ね」と悪びれた様子もなく、淡々と
僕に言う。僕の年齢は、78歳、デリケートな発言のような気がする。
解釈の仕方なのだが、あと8年我慢をすれば、僕から解放されるという希望の本心なのか。
僕と一緒に過ごす時間が、あと8年しかないという寂しさの本心なのか。いかようにも解釈が
出来る。何れにしろ、残された時間は、少なくなっていく。当面の目標は。90歳まで杖なしで
散歩を楽しむことだ。あと12年、今までの人生の中で、一番充実した時間となることを願っている。
季節には旬というものがあり、一般的には、人生にも旬があるようだ。野球選手の場合、旬を過ぎると
期待度が、時と共に下がっていく。しかし僕には、光輝いた時は、なかったような気がする。
僕には、旬が無かったのだろう。その分、凹みの深さも浅い。今まで通り、浅い波動で、
生きていこう。プーチンもトランプも、若者の余生を奪うな。静かな余生を送ってください。