855、ターミナル
ターミナル、なんとなく哀愁のこもった語感に感じる。日本語に訳すと「待合室」的な意味合いになる。先週、土曜日、
久しぶりに、所要の為、山口を訪れた。空港待合室で過ごす時間、多くの人達が行き交う様を観察をした。意図的でなく
自然に観察することになる。その際、様々な人間模様を、勝手に感じてしまう。老夫婦と娘2人とのやり取りに、
自分の先々に重ね合わせてしまう。娘が父親にペットボトルを渡すのだが、父親は蓋を開けることができず娘に
開けてもらっていた。ベンチから立ち上がる際も、娘の補助を必要としていた。その光景は。40年くらい前には、老夫婦が、
娘達にしていた行動のような気がする。老いと共に、子供に帰っていくというが、確かに親子の立場が逆転したような光景だ、
微笑ましい光景なのだが、何か寂しさを感じてしまった。日常生活の延長戦上にある時間では感じることができない感情も、
時間に余裕のある旅先では、詩人になれるような気がした。